四月、たむらやの会長が亡くなりました。
常に考え、そして行動する人でした。
第一線を退いてからも自分のライフワークとして
漬物や乳酸菌・酵母菌の研究を続けていました。
それは平成25年に自損事故で両足切断という大怪我をした後も
変わることはありませんでした。
またそれだけでなく自宅の周囲の整備や家の中
自分の生活する範囲すべてを
より使いやすくするために考え動いていました
あらゆる方向に思考をめぐらし
自分が考えることを実現するための努力を怠らない
稀有な人だったと思います。
会長の机を整理していたとき
初代助次郎の帳面が出てきました。
会長が6~7歳の時に亡くなっていますが
逸話の多い人で会長の記憶の中では
大きな存在だったと思います。
日常的に使う物と一緒にこの帳面がしまってあったのは
相応の思い入れがあったのだと感じます。
私にとって曾祖父にあたりますが
一度も会ったことのない人の人物像が
私の中にしっかりとした形をもって植え付けられているのは
会長の持つイメージを私が受け継いでいるのかもしれません。
会長はあまり一般的な遊びは好まず
飲み会やゴルフなどで出ることは滅多にない人でしたが
人と関わることは好きなようで
多くの人と分け隔てなく付き合っていました。
告別式には多くの人にご参列いただきました。
ありがとうございました。